私が厄祓いに行く理由

 

昨日厄祓いに行ってきました。

 

お正月は神社やお寺へ初詣に行って、お盆や彼岸には先祖を敬い、ハロウィーンやクリスマスも楽しんで成長し、教会で結婚式を挙げる。

子どもができたらお宮参りに行き、神社で七五三を祈祷してもらって、この子たちを養っていかねばと親は十日えびすに行って商売繁盛を祈願する。

そうやってがむしゃらに生きて最後は仏教のお葬式で死んでいくという何とも慌ただしく、宗教という観点でみるとヘンテコなのが私で、多くの日本人がそうじゃないかなぁ。

でもそれは悪いことじゃないし、色々受け入れる風土があって、選択肢がたくさんあるっていうのは素晴らしいことじゃないかなって思います。

 

私にとって厄祓いは「神頼み」ではなくて、ハローウィンやその他のイベントと同じような感覚。「あぁ、今年は厄年だし厄祓いに行っておこうかー」みたいな感覚。

でもこれ私の生まれた家ではなかった習慣なんですよ。

せっかくなので「私が厄祓いに行く理由」と題してまるで「私が旅に出る理由」のように気取った感じでなぜ厄祓いに行くようになったのか振り返って考えてみます。

 


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最初は親孝行の一環

 

厄年を最初に気にするようになったきっかけは単純です。私と父の厄年が重なった時に父親が死んだからです。父が命を落としたことと厄年だったことに因果関係がどの程度あるかはわからないし、どちらかと言えば関係ないのかもしれない。

 

だけど大事な人を突然亡くすと、残された立場としてはいろいろ理由をつけて失った悲しみを埋めようとするんですよ。母が典型的なそれでした。

「私の食事が良くなかったからかもしれない。」

「(父が)休みなく働き続けていたから、止めればよかった。」

から始まりもう後悔しまくるわけですよ。食事や仕事は割と病気に関係が深いかもしれないけど最後は、

「パパとあなたが厄年だっただからかもしれない。」とまで言う始末。

 

私も大学生でしたからね、「そんなん関係なくねー?」と心の中では思いながらも、弱って小さく見える母を目の前にしたら「そうかもしれないね。」としか言えなかった。

 

その後私も母も健康に対する意識が強くなり、本当に効果があるものないもの、若干スピっている(スピリチュアルだという意味です。)もの、色々知る中で母が取り入れた新たな文化が厄祓いでした。

私が子どもを産んでからは「厄年だから、必ず神社に行っておきなさい!」と強く言う母に多少の煙たさを感じながらも親孝行の一環でやむなく行ってやっているんだ、というくらいの気持ちでした。

 

 

ただ行ってやっているふりをしながらも疑り深いのが私です。いろいろ調べました。そもそも厄祓いってなんだよ?から調べました。

 

厄年って女性なら子どもを産んで、ちょっと成長して疲れが出るころ。婦人科系の病が出やすい。もっとも昨今は結婚する年齢も出産する年齢も上がっているので、結婚するか、出産するか人生が大きく変わるころと考えた方がいいのかもしれません。

男性もそうです。一番注意したほうがいい男性の大厄30代後半~40代は働き盛りの時。無理しないようにしようねってことだと思うんですよ。

何かと人生の岐路に立たされたり、無我夢中で走り続けているときこそ災いがおきやすかったり病気になりやすいから気を付けうようねっていう言い伝えみたなものだと私は捉えています。

 

それはある意味では理に適っているし、分かってうえで今は納得して受けています。

その上で私が思う厄祓いとは…

「子どものためにできるだけ長生きしよう、自分の健康に気を付けようという確認行為の表われ」っていうことです。

 

 


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健康に特に気を付けようという確認行為

 

七五三だって元々は厄祓いが起源です。昔は今ほど医療が発達しておらず、幼い頃に命を落とす子どもが多かったからと言われています。

目に入れても痛くない程に可愛い我が子の七五三を信じていないからという理由で端折る人はあまりいないと思うんですよ。成長の節目でイベントであり根拠がなくともそれが健やかな健康に繋がるのであればやってあげたいのが親心ではないでしょうか?

 

私としては厄祓いもそれと同じ。自分を大事にしたいからその行為の一つとして厄祓いに行くんです。

子どもには借金してでもお金を散々つぎ込んでちょっと歪んだ愛情をかけまくったのに、自分の健康には無頓着で死んでいった親を持つ私としては自分を大事にして健康に生きることも親の務めだと強く思う。

うちの父もそうだったけど子どものことに必死な人ほど自分には無関心で無頓着なものです。

 

だからといって厄祓いが健康になる根拠があるわけじゃないし、科学的かとか非科学的かっていうことで言うと非科学的な要素が強いでしょうね。ただ体の変調に気を付けた方がいい節目の年齢だから用心しようねっていう意味では納得できます。

厄払いはそれをはっきり明示すること、確認行為かな。

「30歳超えたらお肌の曲がり角だから美容に気を付けよう」と同じ。

「私は厄年だから、ここ数年は特に健康に注意深く過ごそう。」という決意表明のような感じです。

 

 

そんな感じで今年も去年に引き続き厄祓いに行ってきましたよ。

護摩行をしてたお坊さんは去年よりもええ声のお兄さんで、ホラ貝を吹く人は去年よりも音程が安定していて偉そうですが質が上がった気がする。今年は左右の肩と頭をポンポンと叩く闘魂注入…違った、「お加持」もやってもらい、思ってたより叩く力が強くて痛かった。効果!?そんなもんあるかないか分かりませんよ!

効果があるかないかではなく、今年も健康に気を付けて頑張ろうって気持ちになれることが私にとっては大事なのです。そんなこんなでも気持ちがしゃんと整ったから厄祓いに行ってよかった。

 

年が明けて今日で二日目、さてまたぼちぼち働きます。

 

因みに…

このような日々思ったことを時々FBページでエッセイとして書いています。
文字しかありませんので、読みやすいようにもうちょっと短めです。

興味のあるかたは読んでやってください。

 

おしまい


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ABOUTこの記事をかいた人

浜田 綾

ライター/コピーライター/エッセイスト 1981年生まれ 大阪府高槻市在住 企業で10年間ビジネス文書の作成に携わる。 同年7月電子書籍「ペコのプチエッセイ」を出版。 編集者、コピーライターとして活動の幅を拡大中。 幻冬舎・箕輪厚介氏主催の箕輪編集室にて「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」の編集リーダーを務める。2017年6月に「コトバノ」という屋号でフリーランスとして開業。