twitterでの月1企画「#ぶろぐのぶ」

さかのうえのまろさんと私で交互にお題を出し合い、同じお題で記事を書き感性の違いを楽しもうという趣旨です。

 

2016年9月の #ぶろぐのぶ お題と作品

 

今月9月は、まろさんからのお題「鎮」「魂」「憎」を使って書きます。

いつもと違った感じのお題に何故だか燃えました!

日ごろから思っていたことをぶつける絶好のチャンス到来!

では行ってみましょう!


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ぶりっ子女が大嫌い!

イライラ

 

読んでその通りです私、ぶりっ子する女が大嫌いです。

「憎い」とまではいかないし、「好きにやればいいやん」って思ってるけど、ぶりっ子女が自分の生活圏に一たび入ってくるとなると話は別です。

 

悪いけどうざい!

 

そのあざとさに嫌悪感すら感じます。

 

他人の挙動にいちいち反応するほど暇ではないけど、どうしてもぶりっ子女だけは気になってしまう。せっかくなのでぶりっ子女の何がそこまで嫌なのかどういう点が嫌いなのか、じっくり検証してみます。

 

書いてるうちにどうでも良くなり、怒りが鎮まり成仏できることを願って!

 

ぶりっ子女の定義ネット上では??

 

そもそも「ぶりっ子」ってどんな女でしょうか?

便利な世の中になったもので、分からないことはグーグル先生が全部教えてくれます。

 

ぐぐって調べた結果書いてあったぶりっ子の特徴をざっとまとめてみますね。

  • 女性と男性の前で態度が変わる
  • 自分のことを下の名前で呼ぶ
  • アヒル口
  • 上目遣い

 

これが典型的なぶりっ子だそうですよ。

こんな感じ?

ぶりっ子

 

って…。こんな分かりやすいぶりっ子女ほんまにおるんかい!

少なくとも私の周りにここまでイラッとするぶりっ子はいませんね。

 

 

もしもいるならば…うちの次男(3歳)に我が家のクリエイティビティの結晶である巨大ピコピコハンマーで追い回すよう、私が指示するのでご一報くださいませ。

 

 

私が思うぶりっ子女の定義は少し違っていて、ぶりっ子の特徴は3つあります。

 

 

1.嫌われたくない思考が強い八方美人で、他者評価で生きている

ぶりっ子女は八方美人!

八方美人

 

ぶりっ子女は他人に嫌われるのが怖くて仕方がないので、八方美人です。

誰でもとにかくヨイショする。

 

~さんすごーい、すてきー!

ポイントは「誰にでも」です。

 

誰にでも優しくするのは素晴らしいことだけど、優しさを通り越して過剰なヨイショを誰にでもする人、それってただの太鼓持ちやん。

 

私は性善説を信じているし、根っからの悪人なんていないと思っています。

 

だけど健全な感情があるならば、「嬉しい」や「ムカつく」という気持ちがあって当然なんです。

人格の問題ではなく行為として「合う」「合わない」はあって普通やん?

 

だって私たちは一人とて同じ人間ではないのだから。「みんな違ってみんな良い」です。

その違いが心地良い時とそうでない時があるのは至極全うなことじゃない?

 

ぶりっ子女はそこを勘違いしているので、人類皆お友達思考です。

嫌われたくないので「嫌だ」、「ムカつく」の感情に蓋をして人気者のぶりっ子を演じています。
そうするうちに自分軸が無くなっているのす。

 

他者評価で生きるとどうなる?

自分軸がない

 

自分軸が無いぶりっ子がすがるのは「他者評価」です。

他人に良いと言ってもらえたら嬉しいのは当たり前。私ももちろんそうです。

だけど他人が良いと言おうが言わまいが譲れない自分の基準があることが大事だと思う。それが自分軸です。

 

例えば仕事で誰かに評価されたらそれは光栄でめちゃくちゃ嬉しいことだけど、じゃあ評価されなかったら仕事が嫌いになるのか?

違いますよね?自分がその仕事が好きであるから頑張るのであって、評価はその次の話。

 

八方美人思考が強すぎると人に評価されることのみに力点を置きすぎてしまい、自分軸をなくし媚びることで受け入れられようとするようになるのです。

 

 


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2.物事を考えず自分の意見が無く権威に弱い

権威が大好きなぶりっ子女

権威

 

ぶりっ子女は他者評価で生きてる故、自分で物事を考えません。

だから権威に弱く、お墨付きが大好物。

そこで人の良し悪しすべてを判断します。みんながすごいと言っているから、すごいに違いないと考えもせずに流されているだけなのです。

 

~が良いと言ったから、~で表彰されているから、~のお墨付きだから。

 

ブログで例えるなら~PVだから、~で上位だから、~さんがシェアしてるから。

 

これらが凄さの指標であることは間違いありません。権威には権威たるにはそれなりの理由があることぐらい理解しています。
だけどすごい部分の上辺しか見ないのがぶりっ子女の特徴。

 

数値的な絶対評価が高いからと言って、自分にとって有益か素晴らしいかなんて人それぞれだと思うのです。人間の心は機械じゃないからね。

 

 

考えることをせず流されて、自分の意見を言わないぶりっ子女

流される

 

入って来た情報が自分にとって良いか悪いかをどうやって判断するのか?

それは権威というお墨付きを妄信するのではなく、いったんは受け入れて自分で「考える」のです。

 

ぶりっ子女はこの「考える」という行為を省きます。あるいは考えて出た答えに蓋をします。お墨付きをそのまま信じて流されヨイショし続けるほうが楽だから。

 

また自分の意見がなく、意見らしい意見を言ったときは誰かのパクりです。

パクり先もお墨付きから調達してちょっと言い回しを変えれば、それっぽい中身スカスカの自分の意見が完成!

 

長いモノには巻かれておこうってやつですね。

 

だったら一生ずーーーっとまかれておいたらいいねん!

 

自分の意見を言うことは勇気がいるけど、主張することで変わるもの、ことってあるはず
主張するまでしなくても生きてる以上は考えるべきだし自分の考えを持つべきだと思う。

 

考えることをやめてしまうことは、人間としての活動が終わっているということ!

 

 

3.自分を下げることで相手に気に入られようとしている

必殺「自分を下げる」攻撃

下げる

 

八方美人で権威に弱いぶりっ子女。皆に気に入ってもらわないと生きていけません。

ぶりっ子女の得意技は媚びること。媚びて可愛がられることが大の得意です。
だから媚びまくるのです。

 

媚びる方法も心得ています。
伝家の宝刀「自分を下げて相手を上げること」です。

 

分かりやすい例:

私なんて~、女でも~

これでまず自分を下げます。

 

そしてこの後:

~さんすごい!~さん素敵!

がもれなくセットでついてきます。

 

「~さんすごい」だけの単品売りは決してしません。自分を下げるセットを付けた方が自分より下でいてほしい男性の心理をうまくついているからです。

 

こういう人が結婚して子供を持つと今度は

ママでも~

という言葉を乱発します。

 

本音と建て前の日本文化の中において多少謙遜する必要もありますよ。必要に応じて私も使う時はあります。

だけどぶりっ子女は頻度が異常。基本ずっとこのテンション!

 

 

sometaimeではなくalwaysです!オールウェイズ!

 

私なんて~、私でも~

「なんて」「でも」

 

この行為が自分を下げていることになぜ気づかない?

自分を下げても卑屈になるだけなのに。

こういうことを言う人に限って内心自信満々だったりするもので、大したことないなんて実は思っていないんです。

ジャイアンみたいに偉そうにしろと言っているのではないのです。偉そうな奴は私も嫌い。

そうじゃなくていちいち下げる必要がいらないといっているのです。

 

相手を褒めるという行為も良いのですよ。良いと思ったことはどんどん口にだして言うべき。
私もそう思うし実践してるつもりです。

下げる部分を省いて普通に「~さんすごい」だけを言えばいいのです。単品売りしろっていうこと。ただし心から思ったときだけ!

 

 

「自分を下げる」ぶりっ子女は自信のなさの表れ

自信

 

いちいち自分を下げまくることを過剰にするぶりっ子女は自分に自信がないんだと思う。

自信がないから自分を下げてしまう。

それで一定層の男に気に入られて味を占めて同じことを繰り返すんだろうね。
意識的にしているぶりっ子女はただの性悪。でもわかってやっているならある意味潔い。

 

厄介なのが無意識にしている女性。天然のぶりっこですね。
そういう人は過去に何かトラブルを起こしているはずです。

だって非ぶりっ子からしたらこういう人ってやっぱり勘に触りますからね。

 

何かしらのトラブルを経験する→嫌われたくないっていう心理になる→嫌われたくないから自分を下げて媚びる

 

だからまた仮面をかぶってぶりっ子を演じ続けるのです。

それって疲れない?もう仮面を脱いだらいいやん。

 

自分を下げて下手に出てるぶりっ子女に喜んでる男も同類です。

こういう男がいるからぶりっ子女がなくならない!
自信が無いから自分を下げてくる女が良いって思うんでしょうね。

本当に自分に自信のある知的で思慮深い男はぶりっ子女の策略にはハマりません。
それが本音でないとわかっているし、本質的じゃない話をしても嬉しくないからです。

 

 

私がこんだけぶりっ子女にイライラする理由

ぶりっ子「行為」が問題ではなく「範囲」と「頻度」、信念のなさが問題

信念

 

散々ぶりっ子女を斬りましたが、ぶりっ子行為そのもの全てが悪いとは思っていません。

私は好きな人には喜んでほしいし、とことん助けになりたいし、尽くしたいから気に入られようとします。これもいわばぶりっこ行為。

本当に親しい友人の前ではそう振る舞います。旦那の前では私もかなりのぶりっ子だと思いますよ。

 

私がおかしいと思うポイントは「範囲」と「頻度」が異常であること。ぶりっ子は本当に好きな人、良いと思ったものにはどんどんするべきなんです。

 

「毎回」「誰にでも」
「私なんて大したことない。~さんってすごーーーい!」を
ポリシーなく連発する「行為」。これが好かんのです。

 

ぶりっ子魂ってやつなんだろうか!?

 

自分を下げて安売りする。それってほんまに楽しいんかな?

 

自分を認めて自分を大切にしてあげないと自信を持つことなんて一生できないし、本当の幸せを感じることもできない。

断言できます。ソースは私だから。

 

ぶりっ子を捨てることが幸せへの近道!?

cosmos

 

私は自分の考えに自信が持てず、人の顔色を窺う癖が強く、思ったことをはっきり言い出せない性格でした。まだ少しそうだけど。

 

過剰にヨイショすることや権威を妄信することは前から嫌いだからそこはしなかっただけで、八方美人、自分を下げることは結構やってました。今でも完全になくなったとは言えません。

 

自分を認めて自分を大事にできるようになってきたら、少し自信が持てて、ものの見え方が変わって、人に優しくなれて、幸せをたくさん感じるようになりました。

 

つまり私は自分のぶりっ子要素を捨てて間もなくて、捨てたてほやほやだからこそぶりっ子要素を持ってる人に遭遇するとイライラするんだと思う。

 

あー前の私みたいって思う。

 

 

 

全てのぶりっ子女に告ぐ。

いちいち自分を下げる必要なんてない。そんなことしなくてもあなたは十分素晴らしい。

ぶりっ子を続けている限り自分に自信を持つことなんて一生無理。

本当の幸せを感じたいならそのぶりっ子は今すぐやめて自分を認めることから始めるべきだ!

 

以上!異論は認めません!

 

とはいえ、ぶりっ子女とそれに喜ぶ男。需要と共有が一致するから世の中うまくまわるんですものね。世の中が平和なら私はそれで結構。

 

私は自分の目標があるので、いちいちぶりっ子女に構っている時間はありません。お好きにどうそ。私は先へ進みます。書いて成仏さようなら。

 

最後に、世間的にはぶりっこ女が可愛がられちやほやされる世の中。非ぶりっ子女は損しがちで生き辛さを感じることもあるでしょう。

 

共に頑張りましょう!全ての非ぶりっ子女に幸あれ!

 

 

 

おしまい

 

エッセイ、コラムの執筆お待ちしております。↓

 

過去の「#ぶろぐのぶ」記事はこちら↓

「書く」という特効薬、なぜ書くことが好きなのか?#ぶろぐのぶ

自分で見たもの、聞いたもの、言ったことを信じたい#ぶろぐのぶ

子どもから父になった男の子、母になった女の子の話 #ぶろぐのぶ


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4 件のコメント

  • 同感です。
    40代になってもアヒル口のブリっ子に
    イライラしていました。
    イライラは、彼女じゃなく、
    何も言わない自分に仕事を押し付け
    彼女に手を貸すまわりでした。
    仕事分担おかしくないですか?
    と言ったら
    ”〇〇さんがやることになってたんだー
    なんかーみんながーわたしじゃ心配だって
    勝手にやってくれちゃうのかな笑”

    ちょっと羨ましいなって思ったけど
    でも、私生活も仕事も幸せそうではない。
    常に困って誰かを頼ってる。
    同情しか気をひくところがないんだなぁと。
    他者依存ですね。
    今日も彼女、ガサガサ、飴ちゃん配りながら
    仕事してます。

    そんな人にひっぱられてるよりも
    自分のやることやります(^^)
    エッセイ読んでスッキリしました!
    ありがとうございました

    • 青豆さん

      お返事遅くなりましたが、コメントありがとうございます。
      エッセイ読んでスッキリしていただいたとのこと。書いてるものとしてはとても嬉しいお言葉です。
      同僚のぶりっ子が嫌なんですね。きちんとお仕事されている青豆さんからしたらそれはイライラしますよね。
      私も同じような理由です。
      ただぶりっ子はぶりっ子することでしか生きられませんから、「もったいないなー」「かわいそうだなー」そんな風に思っています。
      私たち非ぶりっ子は気高く自分の進むべき道を生きましょうね^^

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    ABOUTこの記事をかいた人

    浜田 綾

    ライター/コピーライター/エッセイスト 1981年生まれ 大阪府高槻市在住 企業で10年間ビジネス文書の作成に携わる。 同年7月電子書籍「ペコのプチエッセイ」を出版。 編集者、コピーライターとして活動の幅を拡大中。 幻冬舎・箕輪厚介氏主催の箕輪編集室にて「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」の編集リーダーを務める。2017年6月に「コトバノ」という屋号でフリーランスとして開業。