自分で見たもの、聞いたもの、言ったことを信じたい#ぶろぐのぶ

Twitterで交流させていただいてる、さかのうえのまろさんが発案した「ぶろぐのぶ」
3つのお題を出していただき、そのキーワードにそって記事にするというルール。

 

詳しくはこちらの記事に書かれています。→ブログで三題噺に挑戦 #ぶろぐのぶ 始めました

 

 

1回目に引き続き、まろ先輩より出していただいた2回目のお題は

とのことなので

 

「見」「言」「聞」この3つを使って書いてみます。

いってみましょー。


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見たもの、聞いたこと、言ったこと=つまりは自分の感性が大事!

これだけインターネットが普及して、何かの情報が知りたくなったら
口コミサイトを見ればなんだでおおよその予想がついてしまう今の世の中。

 

 

だからこそ最後に信じるのは、

自分で見たもの、聞いたもの、言ったこと

つまりは感性だと思ってる。

 

 

でもそういう感覚ってその時の精神状態ですぐに揺らいでしまう。

 

影響力のある人が「これはすごくいい」って言ってしまうと、
そうじゃなくても良く見えることなんていくらでもあるし、

自分がその流れの中に入ってしまうと扇動されていることなんて
全く気付かないんだと思う。

 

それくらい人間の感覚なんて揺らぎやすいものだから。

 

扇動って言っても良い動きの波ならば
一人の力では成しえないことを達成してしまうし、
悪い動きの波の最たるものが戦争だと思う。

 

つまりは人の心理って一斉に同じ方向に向かうと
良くも悪くもすごい力をもってしまうのだから、

そのことを心に留めておかないと
自分を見失ってしまいそうになるんだってこと。

 

人の言うことに流されているだけじゃあ、考えてないのと同じ。
考えないってことは、人間としての活動が終わっている事だと思う。

 

私は考えることをやめたくないな。
もちろん人の話もちゃんと聞ける姿勢はもちたいけど。

 

 

 


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発信する立場になったからこそ…

 

微力だけどもインターネットで情報を発信する側の立場になった今の私。

 

たくさんの人に読んでほしい、共感してほしい…
なんていう欲はいくらでもあるけど、
それは結果論なのだということを忘れないようにしよう。

 

大事なのは自分の見たもの、聞いたもの、言ったことに素直であること。

 

正直であること。

 

嘘を言わないこと。

 

人に流されすぎずに自分の頭で考えて、意見を持つ発信者でありたいって気持ちを忘れないこと。

 

でもそればっかり貫くとどんどん見方が狭くなって心が閉じてしまうから、
時にはバランスをとって行動しないといけないけど、

 

それでもやっぱり基本は変えられなくて…

 

道に迷ったら最後に帰るべきところは一つしかなくて…

 

自分で見たもの、聞いたもの、言ったことを信じたい!

 

 

 

おしまい

 

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    ABOUTこの記事をかいた人

    浜田 綾

    ライター/コピーライター/エッセイスト 1981年生まれ 大阪府高槻市在住 企業で10年間ビジネス文書の作成に携わる。 同年7月電子書籍「ペコのプチエッセイ」を出版。 編集者、コピーライターとして活動の幅を拡大中。 幻冬舎・箕輪厚介氏主催の箕輪編集室にて「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」の編集リーダーを務める。2017年6月に「コトバノ」という屋号でフリーランスとして開業。